札幌この実会とは

合言葉は「地域を拓く」

 

 『親なき後も幸せに暮らせるように』と願う保護者の尽力により、札幌市西区西野に「手稲この実寮」の建設運動が始まりました。一人ひとりの力に合わせ生活を組み立て、家庭的な雰囲気の中でごく普通の暮らしを実現したいという強い想いから、私たちの歩みが始まったのです。昭和48年当時は大規模入所施設(コロニー)の建設ラッシュでした。そんな中、他の施設に預けていた二人のお母さんが、わが子の将来を思い「より小さく家庭的に」という願いにより、定員30名の小さな入所更生施設として開所しました。当時から一貫して、職員も3食共にし、食器は陶器を使用し、風呂は夕食後、汗をかいたら毎日入る。このように貧しくても家庭的な普通の暮らしにこだわり続けました。働く場は地域に農場を借り作物を作り、市の公園や墓地の草刈、清掃などを請負い、施設の敷地外で働くことを目指してきました。地域の人たちが彼らの働く姿を目の辺りにし、住民から徐々に理解を得ることができました。

 どんなに入所施設の中に暮らしを作っても「僕は父さんのように会社で働きたい。兄さんのようにアパートで一人で暮らしたい。」という寮生の切実な声や、散歩の途中に新築された家を見て「私もあんな家に住みたい」という意見が障害の重い仲間から多くあがりました。それを受け昭和52年の職員会議で「生活寮をつくろう」と議論され、昭和57年には「入所施設の中では瞳が輝かない。街の中に飛び出そう!」ということで交通の便のいい場所に利用者3名と職員が共に暮らす「さざ波寮」が誕生しました。(北海道の生活寮制度はそれから2年ほど遅れ、昭和59年に誕生しました)国のグループホーム制度は平成元年に誕生し、札幌でのグループホーム第1号が私たちの「グルッペ101」です。その後、次々と地域での暮らしが展開していきました。

 多くの制度の変遷を受け、平成7年に「ここに、かつて手稲この実寮があったとさ!」と思える日を目指して、入所施設廃止の夢がスタートしたのです。保護者は親亡き後の不安から「このまま入所施設で!」と本人の気持ちに反することもありました。しかし、我が子が地域で役割を持って仲間・職員から期待され、生き生きと暮らす姿を見て「これでよかった」と語るようになりました。

 平成19年秋、新法移行を控え、体験として地域で暮らしている人たちを集め、今後の暮らしについて聞くと「もう山(手稲この実寮)には戻りたくない」「コンビニのそばの暮らしがいい」「一人部屋で静かな暮らしを続けたい」と口々に語り、それはまさに入所施設廃止が決定された瞬間でもありました。

 現在、入所施設だった建物は日中活動の基地としての事務所兼作業場の一つとして、また「手稲この実寮」の歩んできた資料室、もう過去の入所施設には戻らないための展示室(10畳間に布団4枚が部屋いっぱいに重なるように敷いてある部屋など)として活躍しています。

 「札幌この実会」の歴史は、先に思想や理念があったからではなく、本人たちの笑顔を作ることに無我夢中に取り組んできた結果が、入所施設廃止に至ったのです。我々は本人主体の取り組みの後に制度が作られ、さらにその制度を活用しても縛られることなく、また新たな地平を切り開くことによって制度が本人のために活きる、と確信しています。「手稲この実寮」という入所施設はその役割が終わり、地域生活の課題は山積みですが、“普通の市民として”の暮らしに挑戦し続けています。

 今年「手稲この実寮」ができて37年目、社会福祉法人「札幌この実会」として独立して31年目を迎えます。開設当時、その設立の趣旨を『好む』者が集まり、桃栗3年柿8年のたとえのように、ひとつの種から芽を出して、花を咲かせ実を結ぶ『木の実』をイメージしました。その2つの言葉を掛け合わせて。誰もがその人らしい生き方をして欲しいという願いを込めたのです。

 

        ・誰もが地域社会の中で自立した人間として暮らすこと

        ・一人一人が大切にされ、その長い生涯が支えられること

 

 今後も「札幌この実会」はその理念を失うことなく『地域とともに創造する福祉サービス』を目指していきます。

 

(平成21年10月 記)